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知多デジタルミュージアム デジタル写真館 ~知多の記憶~

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更新日 2023年02月02日

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  デジタル写真館 ~知多の記憶~ (新しいウインドウで開きます)

 

博物館が収蔵する古い写真を中心に紹介します。
印刷物などへの2次利用については、博物館までお問い合わせください。

 

※皆さんがお持ちの写真をご提供ください。
失われていく風景などをおさめた写真は、知多市の歴史を未来に残す大切な資料です。ご家庭に知多市の風景・生活の様子を写した古い写真がありましたら、ぜひ博物館にご提供ください。スキャン後、原本はお返しします。

 

写真の探し方

分類から探す

写真は、次の分類に分かれています。

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大分類 中分類 小分類
写真    生活(くらし) 家庭
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 小学校区・時代から探す

撮影された場所(小学校区)、時代から探すことができます。

下の表の写真をクリックすると検索結果へジャンプします。(新しいウインドウで開きます。)

  明治・大正 昭和(戦前・戦中) 昭和(戦後)
八幡 八幡 明治・大正 八幡 昭和(戦前・戦中) 八幡・昭和(戦後)
新知 新知 明治・大正 新知 昭和(戦前・戦中) 新知 昭和(戦後)
佐布里 佐布里 明治・大正   佐布里 昭和(戦後)
新田 新田 明治・大正 新田 昭和(戦前・戦中) 新田 昭和(戦後)
岡田 岡田 明治・大正 岡田 昭和(戦前・戦中) 岡田 昭和(戦後)
旭北 旭北 明治・大正 旭北 昭和(戦前・戦中) 旭北 昭和(戦後)
旭南   旭南 昭和(戦前・戦中) 旭南 昭和(戦後)
つつじが丘     つつじが丘 昭和(戦後)
南粕谷   南粕谷 昭和(戦前・戦中)  
旭東 旭東 明治・大正 旭東 昭和(戦前・戦中) 旭東 昭和(戦後)

 

テーマから探す

知多市の歴史を語る上で欠かすことのできない出来事やキーワードから探すことができます。

 佐布里梅林

明治時代の中ごろ、鰐部亀蔵氏が桃の木に梅を接ぎ木して「佐布里梅」がつくり出されました。この佐布里梅が植えられた佐布里梅林は観光地として賑わい、鉄道の開通によって便が良くなったこともあり、大正末から昭和初期を全盛期として多くの人が訪れました。
戦後もバスなどで大勢の人が訪れましたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風で大きな被害を受け、また佐布里池の建設により水没し、昔からの佐布里梅林は消えてしまいました。
佐布里池の完成後、周辺に再び梅が植えられ、現在では25種類、約4,600本の梅が楽しめる観光地として賑わいをみせています。

新舞子海水浴場

新舞子は、瀬戸内海の「舞子浜」に似ていることからその名前がつけられました。
明治45(1912)年の鉄道開通とともに、白砂と青松が美しい新舞子海岸周辺は名古屋周辺からの観光地・別荘地として開発が進み、海水浴客のための休憩所や動物園、夜間照明付きのテニスコートなども設けられました。
太平洋戦争によって海水浴客は途絶えましたが、戦後活気を取り戻し、昭和三十年代には「知多のマイアミ」と呼ばれました。現在も、平成9(1997)年にオープンした新舞子マリンパークをはじめ、多くの人で賑わっています。

長浦海水浴場

長浦は、昭和初期に名古屋鉄道が別荘地としての開発を進め、海岸には海水浴場が整備されました。
長浦海水浴場の名物は、昭和2(1927)年に作られた鉄筋コンクリート製の「タコのターちゃん」と昭和31(1956)年にシャワーも取り付けられた「タコのコーちゃん」でした。なお、ターちゃんは当初はベビープール内に築かれましたが、後にプールは撤去され、砂浜となりました。
昭和30年代後半の埋め立てによって、長浦海水浴場は姿を消しましたが、タコのターちゃんの一部は壊れずに、現在の西知多産業道路周辺の地中に埋まっているそうです。

愛知用水

知多半島には大きな川や池が無く、雨も多くないため、各地にため池を作って水を確保していました。しかし、日照りが続くとため池もすぐに干上がり、田んぼが乾いてしまうなど、知多半島では長い間水不足に苦労していました。
これが一変したのが、昭和36(1961)年9月30日のことです。八幡に住んでいた久野庄太郎をはじめ多くの人々の努力によって、この日木曽川の水を半島の先端まで流す「愛知用水」が通水を開始したのです。以後、愛知用水は知多の産業や生活を支え続け、愛知用水とともに築かれた佐布里池(佐布里調整池)周辺は行楽地として賑わっています。

 伊勢湾台風

昭和34(1959)年9月26日に上陸した台風15号「伊勢湾台風」は、愛知県内で約3200人の死者など甚大な被害を及ぼしました。
知多市でも、死者・行方不明者9名、全壊・流失家屋226棟のほか、漁師の漁船や海苔養殖場、鉄道、海水浴場、佐布里梅林など全域で大きな被害を受けました。

常滑線

明治45(1912)年2月18日、知多半島西海岸沿いに、「愛電」と親しまれた愛知電気鉄道が開通しました。当初は伝馬町~大野町間でしたが、翌年の大正2(1913)年には神宮前、常滑まで延長されます。昭和10(1935)年には、名岐鉄道と合併し、現在の「名古屋鉄道」となりました。
鉄道は、開通直後の大正時代には沿岸地域に新しい文化をもたらし、太平洋戦争を乗り越え、伊勢湾台風に翻弄されながらも、やがては高度経済成長期における知多半島の発展の原動力になりました。

お問い合わせ

健康文化部 歴史民俗博物館
TEL:0562-33-1571

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