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知多市の都市計画の変遷

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更新日 2023年04月01日

土地利用

昭和30年に八幡町、岡田町、旭町の3町が合併して知多町となり、昭和45年の市制施行により、現在の知多市が誕生しました。

本市の都市計画は、昭和36年に知多町全域が旧都市計画法(大正8年制定。以下「旧法」とする。)により、知多都市計画区域として指定されたことがはじまりとなります。

当時、市街化区域・市街化調整区域は定めていませんでしたが、昭和42年にはじめて用途地域(住居地域、商業地域、準工業地域、工業地域)が定められました。

寺本駅、新舞子駅、巽ケ丘駅の周辺部には商業地域、住居地域が定められましたが、これは、予想される大幅な人口の増加に対応した計画的な市街地の形成、良好な住環境の確保等を意図したものでした。

その後、昭和43年に新都市計画法が公布され、本市では、昭和45年に当初の区域区分(いわゆる線引き)が定められました。

この決定では、旧法当時に定められた用途地域をもとに、日長の旧海岸線沿いの樹林地等は市街化調整区域に、旧岡田町の中心部や一団の開発が予定されていた地区などは市街化区域に定められました。

以降、区域区分の定期的な見直し(概ね10年ごと)や随時の見直しにより、市街化区域は徐々に拡大していきました。

佐布里池周辺をはじめとする自然豊かな区域については市街化調整区域として市街化を抑制し、市街化区域は土地区画整理事業などにより内陸部に向け良好な住環境を確保し、鉄道駅周辺を中心に市街化を進めてきました。

また、臨海部は、産業を支える工業地帯となるよう工業専用地域が定められ、内陸部とは緩衝緑地帯(グリーンベルト)を設けて分離し、住宅市街地に配慮した土地利用が図られています。

用途地域については、平成4年の都市計画法の改正により、平成8年に市全域にわたって新用途地域の指定が行われましたが、基本的な用途地域の指定の方針は当初から変わっていません。

このように本市は、内陸部の住宅市街地や鉄道駅周辺に形成された既成市街地の縁辺部を中心に、人口の増加に対応できる市街地を適切に確保し、豊かな自然と産業との調和を図りながら現在の緑園都市としての市街地を形成するに至っています。

都市計画道路

本市の都市計画道路は、昭和38年の都市計画決定がはじまりで、臨海部に位置し南北方向の広域交通を担う西知多産業道路線(当時の路線名は「臨海線」)と、東西方向の広域交通を担う知多西尾線(当時の路線名は「長浦岡田線」)を軸に8路線を配置しました。

その後は、土地区画整理事業などの市街地の整備にあわせて、昭和43年に朝倉線<朝倉>、昭和46年に粕谷団地の整備とあわせて岡田蒲池線、昭和48年に八幡岡田線(当時の路線名は「八幡佐布里線」)<知多西谷>、昭和53年に廻間線<寺本特定>、平成4年に岡田線<知多岡田特定>を追加しました。

現在、都市計画決定された都市計画道路は15路線あり、平成26年には新たに東海市から常滑市に至る、高規格道路の西知多道路が都市計画決定されました。なお、路線によっては、現道として供用されていても未整備区間のある路線があります。主な未整備区間としては、知多刈谷線の亥新田地区、東海知多線の新知から日長に到る国道155号線のバイパスとなる区間などです。

(注)<>内は、土地区画整理事業名

お問い合わせ

都市整備部 都市計画課
TEL:0562-36-2668

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