STORY of CHITA 知多市のあゆみ

78 11 10 文化 財 知 多 市 彩 景 文 化 財 知 多 市になるまで 知 多 市のあゆみ 統 計データ 年 表私たちの住むまち 知 多 市の今 中 組 山 車( 雨 車 ) 江 戸 時 代 壇 箱 に 瀬 川 治 助 重 定 よ る 力 人 と 唐 獅 子 、前 山に 火 炎 龍 、太 平 鰭 に 波 な ど「 水 」を 象 徴 す る 彫 刻が 飾られています。三 人 遣い人 形やからく り人形上 演に適した独自の形態と、知多型 の山 車 よ り 古い 形 式 を 今 に 伝 え てい ま す 。文 化 ( 18 1 4) 年 に 建 造し 、天 保 ( 18 3 9) 年 に一部改造され現在に至ります。 涅 槃 像 室 町 時 代 釈 迦が 横にな り 息 を 引 き 取 る 様 子 を 描いて いま す 。中 央 台 座の 上の 釈 迦を 中 心に 、多 くの 菩薩や弟 子などの人々、鳥や獣 、虫 、魚まで が集 まって 、死 を 嘆 き 悲し んでいま す 。上 方 に は釈 迦の 母 親の 摩 耶 夫 人 が 天 上 界 から 白 雲に 乗っ てやって来る姿が描かれています。 御 深 井 焼 大 花 瓶 江 戸 時 代 名 古 屋 城 内にあった御 深 井 窯で焼かれたも のと 考 えられ ま す 。尾 張 藩 2 代 藩 主の 徳 川 光 友 が 横 須 賀 御 殿に 出 向いた 時に 、この 地 方に 3 個 寄 進し た う ちの1つで、寺 本 付 近の 虫 供 養組 が 保 管 し ていた も の で す 。胴 部 に は「 光 友」 の銘があります。 金 剛 界 及 び胎 蔵 界 曼 荼 羅 室 町 時 代 大 日 如 来を 中 心とする 密 教の教えを 描いたも ので、2つ の曼 荼 羅をあわせて両 界曼 荼 羅といい ます。金 剛 界は悟りを 開くための方 法が 、胎 蔵 界 は 大 日 如 来の 慈 悲 が 伝わっていく 様 子 が表 現 さ れています。 奥 組 山 車( 風 車 ) 江 戸 時 代 屋 根 部に鶴と 松 、前 棚 部に七 福 神の彫 刻 を 施し 、水 引 幕 に は 龍の 刺 繍 、追 幕 に は 牛 若 丸と天狗の刺 繍 があります。上 山に唐 人 ( 幸 福 人 形 )が 字 を 書 くから く り 人 形 を 備 えていま す 。上 山の 上 下 す る 方 式 は 中 組・ 里 組のよ うな 滑 車による ものではなく 、人 力に頼る 古い形 式です 。堂 山 柱の墨 書によ ると文久元( 1 86 1) 年の建造です。 里 組 山 車( 日 車 ) 江 戸 時 代 屋 根に鳥と 松 、上山 部に鳳 凰と 狛 犬 、前 棚 部 に 龍 と 虎 、仙 人 な ど 、 細 やかな 彫 刻 が 施 されて いま す 。上 山ではから く り人 形 5 体によ る「 悪 源 太 平 治 合 戦 」が 演じられます 。堂 山 柱の 墨 書 によ る 里 組には 元 禄 2( 1 6 89) 年から 山 車 が あって 、その 後 数 回 新 造 さ れてお り 、現 在 の山車は文久3( 1 86 3) 年の建造です。 北 粕 谷 山 車( 花 王 車 ) 江 戸 時 代 総 螺 鈿づくりで、六代 目・尾 張 藩のお 抱え 彫 刻 師・早 瀬 長 兵 衛 吉 政 作の 4本 柱の 巻 龍の 彫 刻 や 壇 箱の 近 江 八景 な ど が 箔 押 し 、彩 色 さ れ て い ま す 。文 化 年 間 ( 1 8 0 4 〜1 8 1 4) に 現 在の 半 田 市 亀 崎の 西 組で 建 造 され、その 後 、弘 化 5( 1 84 8) 年に 半 田 市 板 山 の大 湯 組へ譲 渡 、昭 和2( 1 92 7) 年に北 粕 谷 地 区 が 買い入れ、現 在に至ります。 法 海 寺 法 海 寺仁 王 門 江 戸 時 代 寛 文6( 1 66 6) 年の建 立 で、軸 部 な どの 木 柄が 太 く 、 伝 統 的 な 技 法 を 用 い た 門で す 。 門 は 4 本の 親 柱の 前 後に8 本 の 控 柱 を 立 て た 八 脚 門 で 、平 成( 2 0 9) 年に解 体 修 復 工事が行われました。 さとぐみだひぐるま し なかぐみだあめぐるま し おくぐみだかぜぐるま し きたかすやだしかおうしゃ はんぞうね こんごうかいおよたいぞうかいまんだら おふけやきだいけびょう ほうかいじにおうもん 岡 田 北 粕 谷

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