本 市の初 代 市 長は、知 多 町 長であった山 本 仁三氏でした。そ の後 、4人の市 長 が 市政を担い、本市 の安定した発展に寄与しました。 名 誉 市 民とは 、市 民や 市に縁 故の深い方で、政 治や 経 済・文 化 、その他 広く 公 共 の福 祉のために多 大な 貢 献をし 、その功 績 が 顕 著で、人 格・識 見に優れ 、市 民の尊 敬を 受ける 方に贈る 称 号です。これまで に初 代 市 長の山 本 仁三 氏をはじめ5 人の 方を顕彰しています。 また、市民栄誉賞は、 芸術や文化、スポーツなど、 あらゆる分野で活躍し、そ の功 績が本 市の名 声を 高め、さらに市 民に明るい希 望を 与えるなど 広く敬 愛される 方 に贈る称号です。これ までに野球選手の浅尾拓也氏に贈っています。 さらに 、本 市 が 民 主 的で健 全な 発 展を するために 、特に 顕 著な 功 労のあった 方 を 表 彰する 自 治 功 労 者 表 彰と一般 表 彰が あ り 、昭 和 年から 令 和 6 年 までに 自 治 功 労 者 彰 1 05人 、一 般 表 彰 2 02 0 人 と 2 08団 体・企 業 を 表 彰 し てい ま す。 知多 市のあゆみ 分 野 別のあゆみ 6 ひとづくり 広聴 昭和 年月に設置した「おはよう市長室」 は、毎朝 8時 分から 1時間、 市役 所 ホ ー ル に 設 け た 相 談室 で 、当 時の 近 藤 昇 吉 市 長 が 市民から 直 接 話 を 聞 くと いうものでした 。 年4 月から 現 在 まで続いている 「 市 長への手 紙 」や 市 公 式ホ ー ムページの問い合わせフォームな ど 、さ ま ざ まな 手 法で行 政に対する 意 見や 要 望 の収集に努めています。 市 議 会 市制を施行した昭和 年9月に知多市議会が誕生しました。 市民に開かれた議 会の 推 進 が 重 要 な 課題 とし て 意 識 さ れ 、 年 8 月 に は 議 会 広報 紙 「 市 議 会 だ よ り」が創刊されました。 平 成に 入 り 、地 方 分権・ 地域 主 権の 流れ が徐々に 加 速 化 する 中 、こ うし た 時 代 にふさわしい市 民の代 表 機関としての在り 方が模 索され、 年6 月に知 多 市 議 会 基本条例が施行されました。 ま た 、これと 並 行して、 年 7 月に 議 案の 議 決 状 況 な どの報 告や、市 民 な どか ら意見を募ることが可能な議会報告会が初めて開催されまし た。令和3年 月に は 、子 ど もたちに 市 議 会や 政 治への 関心を持ってもらお うと 、市 内 5 中 学 校で市 議会議員が出前講座を行いました。 市 制 施 行 当 時の 議 員 定 数 は 人 でし た が 、議 会 運 営 を 効 率 化 す る た め 、6 回 に わ た り 削 減 さ れ 、令 和 元 年には 人とな り 、現 在に 至って いま す 。 市政・表 彰 知 多 市 彩 景 文 化 財 知 多 市になるまで 知 多 市のあゆみ 統 計データ 年 表私たちの住むまち 知 多 市の今 40 62 6-7 48 10 30 49 6-8 おはよう市長室で市民から話を聞く近藤市長(昭和54年撮影) 窓口事務の取り次ぎなどを行った移動市役所つつじ号 (昭和53年撮影) 市制施行10周年を記念し、タイム カプセルを埋設(昭和55年撮影)
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