3-3 12 17 27 65 75 42 知多バス佐布里線開通式典(昭和58年撮影) コミュニティ交通あいあいバス出発式(平成17年撮影) 地域 公 共 交 通 明 治 末 期から 昭和 初 期に整 備された 名 古 屋 鉄 道は、公 共 交 通の要であり 、本 市 の西 側に常 滑 線(6 駅 )、 東 側に河 和 線(1 駅 )が走り 、朝 倉 駅・巽ケ丘 駅・新 舞 子 駅 が特急停車駅となっています。 民 間 路 線 バスは 、マイカ ーでの 通 勤や 外 出 が 定 着 する 以 前の 昭 和の 時 代には 、 名 鉄 バス路 線と 知 多 バス路 線に分かれていました 。現 在は 、朝 倉 駅 が 起 点の岡 田 線 、佐 布 里 線 、朝 倉 団 地 線 、新 舞 子 駅 が 起 点の日 長 団 地 線 が 知 多 乗 合 株 式 会 社に より運行されています。 こ うした 民 間 路 線で補いきれない公 共 交 通 空 白 地 域の 解 消のため 、平 成 年 度からコミュニティ交 通の 検 討 を 始 め 、 年 度に 東 部コ ー スと 南 部コ ー ス の2 路 線で「あいあいバ ス」の本 運 行を 開 始し まし た 。 年に 北 部コ ースを 新 設し 、令 和 2 年には 北 部コ ースと 東 部 コー ス を 統 合 し て 、路 線 を 北 部 循 環 コース系統1・系統2に再編 しました。 時 代のニ ー ズに わ せ 、 歳 以 上の 運転免許自主返納者と 歳以上の市 民 を 対 象 と し た「無 料 あ い パス 」の 発 行 や、バスの運行情報を スマートフォンで 確 認でき る バスロケーションシステム の 導 入 な ど 、利 用 や すいバスと な る よう取り組みを進めています。 さ らに 、既 存の 公 共 交 通 が運 行でき ない地域では、地 域住 民と協 働で 「地 域 バス」を 運 行しており 、5 年 度に東部 地 区 と 旭北 地 区 で 本 運 行 開 始 し ま し た。 消 防 消 防 機 関は、 消 防本 部 が知 多 町八幡 地内に開 設されたのが始まりで、市 制 施 行 後、昭和 年に南部出張所(現 ・旭出張所) 、 年に東部出張所、 年には消防本部 ( 本 署 )と 北 部 出 張所 (それまでの消 防 本部 ) を 設 置しました 。また 、大 型 化 学 車や 屈折はしご自動車を導入して、産業 の発展や人口の増加に対応した消防力の向上 に努めました。 平 成 年には、東 部と 北 部の出 張 所を 統合して八幡 出 張 所とし、 地 震や煙 避 難 の体験コーナーを併設して、 市民の防災意識の向上に役立ててい ます。 3 交 代 勤 務の 導 入 や 女 性 職 員の 採用 など 、社 会 情 勢の変 化に 合わせて消 防 体 制の強化に取り組んでいます。 災 害 対 応では、緊 急 消 防 援 助 隊として、東 日 本 大 震 災な どの大 規 模 災 害に職 員 を 派 遣したほか、 市 内外の各 種 機 関と 災 害 時応 援 協 定を 結ぶな ど 、連 携 強 化に取 り組んできました。 1 9番 通 報の 出 動 指 令 を 行 う 通信 指 令業 務では 、知 多 半 島 を 管 轄する 6つ の消防本部が共同運用する知多広域消防指令センターが 年に半田市に開所 し 、 業 務 の 効 率 化 や リ ア ル タイ ム の 情 報 共 有 が で き る こ と で、迅 速な 相 互 応 援 出 動 が 可 能となりました 。 知 多 市 彩 景 文 化 財 知 多 市になるまで 知 多 市のあゆみ 統 計データ 年 表私たちの住むまち 知 多 市の今 知多 市のあゆみ 分 野 別のあゆみ 3 安 全とあんしん
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