29 STORY of CHITA 大型タンカーを係留し、原油を受け入れる伊勢湾シーバース(昭和52年撮影) 臨海工業地帯(令和6年撮影) 産 業 知 多市のあゆみ 分野 別のあゆみ 1産業 市 制 施 行 前の 本 市の 産 業 は 、農 業や 知 多 木 綿を 中 心 と する 繊 維 業や 漁 業 が 中 心でしたが、 昭和 年代後半から始まった臨海部の埋め立てにより、 市の産 業構造 は 大 きく 変 化し ました 。埋立 地には 火 力 発 電 所や石 油 精 製 、都 市 ガスな どのエネ ルギー 関 連 企 業をはじめ、食 料 品や飼 料 製 造 、造 船 所など 多くの企 業が進 出し 、一 大臨海工業地帯が誕生しました。 産 業の発 展に伴って人口は 増 加し 、市 制 施 行 時の約4 万 人から 、平 成 9年 まで の年間で約2倍の8万人に達しました。 人 口の 増 加に 伴い、市 内の 中 小 企 業 も 数 が 増え 、若い力による よ り 良い社 会づ くりを 目 指 す 青 年 実 業 家によって、昭 和 年月に 知 多 青 年 会 議 所 が 発 足し ま し た 。 ま た 、 年 2 月には 商工 会 館 が 完 成し 、中 小 企 業の 事 業 活 動を よ り 効 果 的 に支 援する 体 制 が 整いました 。 年には 第1 回 目となる 産 業 まつりを 開 催し 、以 降現在に至るまで、市民と事業者と の交流の場として親しまれています。 市 内の 商 工 業 は 順 調に 発 展し 、平 成 年にはサント リ ー 知 多 蒸 溜 所 株 式 会 社 ( 当 時の社 名はサングレイン株 式 会 社 )で製 造された「サン トリ ーウイスキー 知 多 」 が 発 売され 、令 和4 年 5月には 東 邦 ガス株 式 会 社 が 養 殖した「 知 多クールサーモ ン」が 出 荷されるな ど 、知 多の名 が 広く 全 国に発 信される 企 業 活 動 が 展 開されて います。 また 、2 年2 月には 、知 多 市 物 産 振 興 会による 地 域 ブランド「ちたもん」 が 誕 生 し、本市の魅力を全国に届け、 地域活性化につなげる取り組みが行われています。 農業の分野では、愛知用水が大き な変革をもたらしました。大 きな河川がなく、 水 資 源に乏しいこの地 域の農 業 が発 展するには、安 定した 水の供 給 が必 須であっ たことから、木曽川から水 を引く愛知用水が整備されることとなりました。 昭和 年 9月に通水が開始さ れると、水路や 農道の整備などの土地改良が進 み、 農 業 振 興に 大 き く 貢 献し まし た 。ま た 、工 業 用 水 も 愛 知 用 水から 供 給 され 、経 済 成長に伴って水需要が増加し、 年度から平成 年度にかけて第 2期の整備が行 われました。 農 地の区 画を 整 理して合 理 化を 進め、農 産 物の生 産 性を 高めるため、昭 和 年 5 月から八幡 地 区で県 営ほ場 整 備が行われました。その 後 他の地 区でも 同 様の整 備 が行われ、用 水 路や揚 水 機 場な どの維 持 管 理のため、平 成 年4 月に知 多 市土 地改良区が設立されました。 昭 和 年に全 国シェアの8 割を 占めていたペコロスは 、現 在も 本 市の特 産 品で す。令 和2 年 月には、日 長ペコロス生 産 組 合が知 多 半 島 産の小タマネギを 「 知 多 ペコロス」 として商標登録し、価値を高め る取り組みを行っています。 知多 市 彩 景 文 化 財 知 多 市になるまで 知 多 市のあゆみ 統 計データ 年 表私たちの住むまち 知多市の今
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