23 STORY of CHITA 4 45 53 55 45 45 27 30 48 42 52 24 臨海工業地帯(昭和54年撮影) 人 口の 急 増 と 市 民の 暮 らし 知 多市のあゆみ 全体のあゆみ 名 古 屋 南 部 臨 海工業 地 帯の造 成により 、本 市の内 陸 部は工場で働く人々のベッ ドタウ ン化 が 進み まし た 。昭 和 年 ご ろ から 丘 陵 地の一部 が 切 り 開 かれ 、アパー ト 群 や一戸 建て住宅が立ち並び、つ つじが丘・八幡台 ・粕谷台・ にしの台といった住 宅 地 がいくつも 生 ま れ ま し た 。住 環 境 の 整 備 が 進 ん だ こ と で 、 年 に 約 3 万 4 0 0人であった 人口は 、 年には5 万5 0 0人を 超え 、 年 間で約2 万 人 増 加しました。 人 口の 急 増に 伴 う 都 市 化の 進 展 は 、市 民の 生 活 様 式にも 大 き な 変 化 を も たら しました 。 年月には都 市 計 画 法に基づく 最 初の区 域 区 分として、市 街 化 区 域 .㎢が指定され、積極的に市街化を進 めました。 市 街 化 区 域の 中 は 、住 居 、商 業 、工 業の 用 途 地 域に 区 分して計 画 的に 開 発を 進 め 、平 成 9 年 5 月には 大 規 模 小 売 店 として誘 致 されたイト ー ヨ ー カ ド ー 知 多 店 がオープンしました。 ま ちづく りの 根 幹 と な る 都 市 計 画 道 路 は 昭 和 年には 路 線 と な り 、市 民の 憩いの場として知 多 運 動 公 園や旭 公 園 、七 曲 公 園を 始め、児 童 公 園や街 区 公 園な ど を 数 多 く 設 置し まし た 。 年 度から は 快 適 な 都 市 生 活の 基 盤 と な る 下 水 道 整 備事業にも着手し、県内でも高 い普及率を達成しました。 市 民の日 常 生 活に直 結する 施 設として、 年に清 掃センター 、 年に知 多 市 民 病 院という 大 規 模 施 設を 開 設したほか、保 育 園・幼 稚 園 、老 人 福 祉センター 、心 身 障 害者 福 祉センターなど 、相次いで社 会 福 祉 分 野の拠 点となる 施設 整 備が進みま した。 さらに、 年代から 年代にかけては、 市民体育館などの体育施設の整備、中央 図 書 館や 勤 労 文 化 会 館 、各 公 民 館な どの 社 会 教 育や 文 化 活 動の 拠 点 整 備 が 進み ました。 こ うして人口の増 加 、企 業の進 出に伴 う 税 収 増に支えられ 、市 制 施 行 後の 年 間で社 会 資 本の整 備 が 急 速に進み、都 市 型の生 活 様 式への移 行 が一気に加 速しま した。 産 業の 発 展 と 環 境 問 題 名 古 屋 南 部 臨 海工 業 地 帯の埋め立てによって大 企 業の工 場 が 進 出し 、本 市は 、 臨 海 工 業 地 帯 を 主 体 と し た 県 内 でも 有 数の 工 業 出 荷 額 を 誇 る 都 市 と な り ま し た。 工業 統 計 調 査の製 造 品 出 荷 額は、市 制 施 行 時の昭 和 年に約 2 23億円 、 年 後の令和 5年には約 1兆 2 66億円と、 およそ 倍に拡大しました。 その一方で、 沿岸 部の埋め立てによって漁業はほぼ消滅し、 農業も都市化の過程 で従 事 者の減 少 が 進みました 。特に専 業 農 家は 減 少し 、兼 業 農 家の中でも 農 業を 副 業として行 う 農 家 が 増えていきました 。農 家 戸 数は、昭 和 年に総 数 2 26 7 戸、うち専業農家 3 78戸であっ たのに対し、 年後の平成 年には総数 1 21 6 戸 、うち 専 業 農 家 1 66戸となり 、本 市の産 業 構 造は大きく変 化することとなり ました。 国 内では、昭 和 年 代から 高 度 経 済 成 長に伴 う 環 境 汚 染 が大きな 問 題となり 、 本市でも、臨海工業地帯へ の工場進出、内陸部の宅地開発による人口増加、 自動 車 を 中 心とした交 通 量の増 加などにより 、環 境 汚 染が悪 化していきました。 特に、工 場のばい煙や自動車の排気ガスによる大気汚染が問題となり、 年1月から気管 支ぜんそくなどの患者に対して、 医療費の助成を始めました。 年の公 害 対 策 基 本 法の施 行 後 、健 康を 保 護し 、生 活 環 境を 保 全するための行 政 上の努 力 目 標として、大 気 汚 染・水 質 汚 濁・騒 音・土 壌 汚 染の分 野 ごとに環 境 基 準が定められ、それらを 達 成するための各 種の規 制 基 準も 個 別の法 律や条 例によ って規定されていきました。 こ うした 規 制の強 化に加え 、本 市では 、臨 海工 業 地 帯の建 設 時から 臨 海 部と 内 陸 部の間に幅 1 0 0mの緩 衝 緑 地 帯として「 グリ ーンベルト 」を 設け 、樹 木を 植え ることで公害の防止に寄与してきました。 また 、本 市に進出する 各 企 業との間で公 害 防 止 協 定を 締 結し 、最 先 端の技 術を 導 入して公 害 防 止に努めるよ う 指 導し ました 。さらには 、 年から 大 気 汚 染 自 動 測 定 器を 稼 働させ 、大 気 汚 染の常 時 監 視を 行っているほか 、市 内 河 川の水 質 調 査 や各地の騒音調査を続け、 課題の早期把握・改善に努めて います。 平 成に入ってからは内 陸 部でも工業 用 地の整 備を 進め、8 年には大 興 寺工業 団 地 が 、 年には 浦 浜工 業 団 地 が 完 成し まし た 。その 後 も 、大 興 寺工 業 団 地( 2 期 ) が 令 和 5年に 完 成し 、知 多 新 南 地 区の土 地 区 画 整 理 事 業において産 業 用 地 が 造 成されるなど、企業誘致による さらなる産業の活性化を進めています。 知多 市 彩 景 文 化 財 知 多 市になるまで 知 多 市のあゆみ 統 計データ 年 表私たちの住むまち 知多市の今
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