13 STORY of CHITA 30 二股貝塚の土偶 妊娠中の女性を表現していると考えられる土偶 の他、ピアスのように耳に開けた穴にはめる土製の 耳飾りなども見つかっており、おまじないに使用さ れたと考えられます。 細見遺跡の発掘調査 名鉄朝倉駅北側に広がる細見遺跡では、当時の 海岸線付近に弥生時代を通じて集落が営まれてい ました。 二股貝塚 旧知多市民病院(新知)の近くの山の中から発見され、 約200㎡の貝塚全体で発掘調査が行われました。歴史民 俗博物館では、貝塚の一部を保存し、常設展示しており、 たくさんの貝殻の中に土器や石器が混じっていることが 観察できます。 知 多市になるまで 知 多の 成 り 立 ち およそ 1 8 00万 年 前 、知 多 市 周 辺は海でした 。そ の後 、海 底 が隆 起して、現 在の渥 美 半 島から 志 摩 半 島 あた り までが 陸 続 き と な り まし た 。伊 勢 湾 から 濃 尾 平 野にか けては 淡 水の 湖であ る 東 海 湖 が 形 成 さ れ 、 約 50 0万年 前には湖の面 積 が琵 琶 湖の5 倍もあっ たといわれていま す 。この 東 海 湖 は 、川から 流れ 込 む 土 砂の 堆 積 や 地殻 変 動に よ り 徐 々に 小 さ くな り 、数 十万年前には消滅しました。 東 海 湖 が 消 滅し た後 、土 地 が 隆 起して南 北に 細 長 い半 島 型の 地 形 が 形 成 され ま 。併 せて 氷 河 期の 海 面 変 動 な どによ り 、現 在の知 多 半 島 形 作 られてき たのです。 縄 文 時 代 縄文 時 代 は 、知 多 市 域で定 住 生 活 が 営 まれはじ め た 時 代です 。初 めに 選 ばれた 場 所 は二 股 貝 塚( 新 知 ) や 楠 廻 間 貝塚( 八 幡 )で 、丘の 上にム ラ が 作 ら れ た と 考 え ら れ 、捨 てら れ た 食 材の ゴミや 壊 れ た 道 具 な ど が 積 み 重 な り 貝塚 が 形 成 さ れ ま し た 。当 時 は 約 70 00年 前の 縄 文 時 代早 期にあ た り 、縄 文 海 進 と 呼 ばれ る 海 水 面の 上 昇に よ り 、遺 跡のあ る 丘のふ も とまで海が入り 込んでいたと 考えられます。海で捕 っ た 魚 や 貝 、狩 りで捕ったシカやイノシシな どの 獣 、山 で 集 め た 木 の 実 や 山 菜 な ど を 、こ の 時 代 に 発 明 さ れ た 土 器を 使って料 理し 、食べて いた ようです。 その 後 も 縄 文 時 代を 通じて 人 々の 痕 跡 が 見 ら れ 、特 貝 塚 は 6 カ 所 で 見つかっている な ど 、海 に 面 し た 知 多 市 域 は 縄 文 人 に とって 暮 ら し や すい 場所だったようです。 旧 石 器 時 代 市 内 最 古の 人 間の 痕 跡 として、金 沢 遺 跡( 金 沢 )と 野 中 大 曽 根 遺 跡( 日 長 )で発 見されたナイフ型 石 器と 呼ばれ る 石 器 が 挙 げら れ ま す 。住 居 跡 な ど は 見つか っていま せ ん が 、こ れ らの 遺 物 か ら 約 1万 数 千 年 以 上 前の旧石 器 時 代に知 多 市 域で人 間 が 活 動していた ことが分かります。 この 頃 は ま だ土 を 作 ら ず 、石 を 叩 き 割って 作っ た 石 器 を 使い、食料 を 求 めて 移 動し な が ら 生 活 をし ていまし た 。ま た 氷河 期 と 呼 ばれ る 気 温 低い時 期 で、海 水 面 が現 在より 1 0 0m以 上 低かったため、伊 勢 湾 は 陸 と な り 、海 岸 線 は渥 美 半 島から 数 十 ㎞ 南に あ り ました 。そのよ うな 環 境の中で、 このあたりは 旧 石 器 時 代のハンタ ー ち が 獲 物を 探 す 、狩 場 だった と考えられます。 弥 生 時 代 縄文 時 代の 後 半 以 降 、海 水 面の 低 下によって 沿 岸 部に 平野 が 形 成 さ れ はじ め まし た 。知 多 市 八 幡 から 東 海 市 大田 町にか けても 平 ら な 広い土 地 が 生 ま れ 、 人々の生活の中心地となっていきます。 大 陸 から 伝 わり 日 本 列 島に 広 がった 米 作 り は 、こ のあ た りでは 弥 生時 代の 中 ご ろに 始 ま り まし た 。こ の 頃の 集 落の 跡 として、法 海 寺 遺 跡( 八 幡 )や 細 見 遺 跡(八幡 )があります。 また 、弥 生 時 代 後 期の遺 跡であ る 大 廻 間 遺 跡( 朝 倉 町 )は 、標 高 mほ どの高い位 置 にあり、他の集団との争 いに備えて見晴らしの良い場 所に築かれたものです。 知多 市 彩 景 文 化 財 知 多 市になるまで 知 多 市のあゆみ 統 計データ 年 表私たちの住むまち 知多市の今
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