STORY of CHITA 知多市のあゆみ

12 ドブガイの化石 知多市八幡で出土した、淡水にす むドブガイの化石です。数百万年前に このあたりが湖(東海湖)だった頃の 生き物です。 約1800万年前の海だったころの地層・師崎層(南知多町)と化石 知多半島の南部に分布し、海の生物の化石が見つかることで 知られています。この師崎層は、知多市域では地下数百mの深 さに埋まっていると考えられます(。提供:南知多町教育委員会) ナイフ型石器 昭和時代に発行された知多市誌などでは「知多市の 歴史は縄文時代に始まる」とされていましたが、これら の石器の発見により、さらに昔の旧石器時代までさかの ぼることが明らかになりました。 知多 市になるまで 知多 の 成 り 立 ち およそ 1 80 0万 年 前 、知 多 市 周 辺は海でした 。そ の後 、海 底 が隆 起して、現 在の渥 美 半 島から 志 摩 半 島 あ た り までが 陸 続 き と な り まし た 。伊 勢 湾 から 濃 尾 平 野にか けては 淡 水の 湖であ る 東 海 湖 が 形 成 さ れ 、 約 5 00万 年 前には湖の面 積 が琵 琶 湖の5 倍もあっ たといわれていま す 。この 東 海 湖 は 、川から 流れ 込 む 土 砂の 堆 積 や 地 殻 変 動に よ り 徐 々に 小 さ くな り 、数 十万年前には消滅しました。 東 海 湖 が 消 滅し た 後 、土 地 が 隆 起して南 北に 細 長 い半 島 型の 地 形 が 形 成 さ れ ま 。併 せて 氷 河 期の 海 面 変 動 な どによ り 、現 在の 知 多 半 島 形 作 られてき たのです。 縄 文 時 代 縄 文 時 代は 、 知 多 市 域で定 住 生活 が営 まれはじ め た 時 代です 。 初 めに 選 ばれた 場 所 は二 股貝 塚( 新 知 ) や 楠 廻 間 貝 塚( 八幡 ) で 、丘の 上にムラ が作 ら れ た と 考え ら れ 、捨 てら れた 食材 の ゴミや 壊 れた 道 具な ど が 積 み重 な り 貝 塚 が 形成 され ま し た 。当 時 は約 7 0 0年 前の 縄 文 時 代 早 期にあた り 、 縄 文海 進 と 呼 ばれ る 海水 面の 上 昇 によ り、 遺跡 のあ る 丘のふも とまで海が入り込んでいたと 考えられます。 海で捕っ た 魚 や 貝 、狩 りで捕ったシカやイノシシな どの 獣 、山 で 集 め た 木 の 実 や 山菜 な ど を 、こ の 時 代 に 発 明 さ れた 土 器を 使って料 理し 、食べてい た ようです。 その 後 も 縄 文 時 代を 通じて 人 々の 痕 跡 が 見 ら れ 、特 貝 塚 は 6 カ 所 で 見つかっている な ど 、海 に 面 し た 知 多 市 域 は 縄 文 人 に とって 暮 ら し や すい 場所だったようです。 旧 石器 時 代 市 内 最 古の 人 間の 痕 跡 として、金 沢 遺 跡( 金 沢 )と 野 中 大 曽 根 遺 跡( 日 長 )で発 見されたナイフ型 石 器と 呼 ばれ る 石 器 が 挙 げら れ ま す 。住 居 跡 な ど は 見つか っていま せ ん が 、こ れ らの 遺 物 か ら 約 1万 数 千 年 以 上 前の旧 石 器 時 代に知 多 市 域で人 間 が 活 動していた ことが分かります。 この 頃 は ま だ 土 を 作 ら ず 、石 を 叩 き 割って 作っ た 石 器 を 使い、食 料 を 求 めて 移 動し な が ら 生 活 をし ていまし た 。ま た 氷 河 期 と 呼 ばれ る 気 温 低い時 期 で、海 水 面 が現 在より 1 00m以 上 低かったため、伊 勢 湾 は 陸 と な り 、海 岸 線 は 渥 美 半 島から 数 十 ㎞ 南に あ り ました 。そのよ うな 環 境の中で、このあたりは 旧 石 器 時 代のハンタ ー ち が 獲 物 を 探 す 、狩 場 だった と考えられます。 弥 生 時代 縄 文 時 代の 後半 以 降、 海水 面の 低 下によって 沿 岸 部に 平 野 が 形 成 され はじ め まし た 。 知 多 市 八 幡 から 東海 市 大 田 町にか けても 平ら な広 い土 地 が 生 ま れ 、 人々の生活の中心地となっていきま す。 大 陸 から 伝 わ り 日 本 列 島に 広 がった米 作 りは 、こ のあ た りでは 弥 生 時 代の 中 ご ろに 始ま りま し た。 こ の 頃の 集 落の 跡 として、法 海 寺 遺跡(八 幡 ) や 細見 遺 跡(八幡 )があります。 また 、弥 生時 代 後期の遺 跡であ る 大 廻 間 遺 跡( 朝 倉町 )は 、標 高 mほ どの高い位 置 にあり、他の集団との争 いに備えて見晴らしの良い場 所に築かれたものです。 知 多 市 彩 景 文 化 財 知 多 市になるまで 知 多 市のあゆみ 統 計データ 年 表私たちの住むまち 知 多 市の今

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